奨学金、無利子で全希望者に??

奨学金、無利子で全希望者に…年収には条件 (読売新聞) - Yahoo!ニュース

 

もう馬鹿かと!アホかと!

いやいや 癒着だと!

文部省の天下り先の新規開拓かと!

なぜ大学卒の学歴がないと、まともな社会生活を送れない世の中を認めるのかと!

この奨学金(税金)は誰の元に集まるのかと? 誰がこの税金を納めるのかと?

いつから大学は研究機関ではなくなったのかと?

大学卒の学歴が本当に必要な職業とは全体の何割ぐらいあるのかと?

 

これを機に大学行かなきゃ損だとばかりに、こぞって進学しそこで覚える原価意識に無い生活が、その後にとってどれだけマイナスか想像することはないのだろうか?

 

「遊び癖・なまけ癖がついた大卒は本当に使えない」と言う今でもある声が、やがて世間の常識になるだろう。

 

そして、職は真面目で原価意識に敏感な外国人達のものになる。

 

社会参加とは、公務員を教育・指導することでもある!

少し前に「公務員は誰が育てるのか?」を書いたが、そこに書いた総務省の行政相談窓口に、警察に対する苦情も受けてくれるのかと電話してみたら、それは警察本部住民相談室(住民コーナー)という警察本部へ電話して下さいと言われた。

警察は行政機関じゃないのかな?とも思ったけど、そこに対して所轄署の対応に苦情を言ってみた。

 


結果から言うと、「それは所轄署に伝えますが、その後につきましては、私どもでは(警察本部住民相談室)では対応できません」との返事だった。

「それならお宅は相談室ではなく、受付窓口ではないか」というと「まあそういう事になります」というお返事。一応苦情は聞くがその後の対応はあずかり知らんということだ。ただし相談内容は一応複数の上司に書面で回すらしい。

まあ あまり期待をせずにいたら、なんと所轄署の担当の課長さんから早速電話が来た。

そこで、その所轄署に最初に対応した警部補に対しての苦情と、そもそもの問題点の指摘をした。すると予想に反し、こちらの主張をちゃん聞いたうえで謝罪と理論だった丁寧な説明が返って来た。こちらの強い口調の意見に相反し真摯な口調であった。

「まさに大人の対応」この問題で今まで話した誰よりも。

こういう人がちゃんといるんだと逆にびっくり

課長さんだけに階級は「警部」だと後から聞いた。「部下に恵まれていないな~ 大変だな~」と最後には不覚にも同情してしまった。

 

相手にこちらの主張に沿って変更・改善させるには、本当に時間と労力がいる。

しかしそれは役所に限ったことではない。

例えとして深夜の牛丼屋やコンビニの店員に明らかに間違った対応をされた時、こちらの主張を認めさせることの大変さを考えてみよう。

深夜ほかの客もいないような時間帯にたった一人の店員。そこで500円の買い物をして、一万円札で支払ったところ、お釣りが4,500円しか返ってこなかった。そこで店員にクレームをいうと、店員は「いや受け取ったのは5,000円だ」と言い張る。こちらは「そんなはずないレジの中をよく見てくれ」というが「自分が受け取ったのは5,000円札だ」と譲らない、それならば「店の防犯カメラでチェックしてくれ」と言うと、「私は防犯カメラの見方も知らないし、その権限もない」という。「それならば、その権限のある人を呼んでくれ」と言えば「今の勤務時間は自分だけなので呼ぶことはできない」と反論された。

さあこの状態をどうするのか?当然警察は民事不介入の原則で、役に立たないだろう。

いくら押し問答をしても、埒が明かない。かと言って、これ以上粘ると、逆に営業妨害で警察に通報される可能性も出てくる。

5,000円を諦めるのか?

後日この店の店長なりオーナーなりフランチャイズの営業本部なりに連絡して、何としても、自分の正当性を証明したいと普通なら思うが、その手間と5,000円を比べると、諦める方が経済的であるというのが冷静な判断だろう。

もっと簡単な話で言うと、街で何人かに取り囲まれカツアゲにあったときに、黙って金を差し出した方が、暴行を受けるなどの被害を想定するとより安全であり、その後警察に被害届を出して犯人が捕まったとしてもその後に仲間から嫌がらせを受ける事を考えたら、その被害金額が5,000円程のことなら不運だと諦める方が経済的には正しい判断だと断言できる。

ただこの対応は犯罪の抑止という視点からは、絶対的に間違っているとも断言できる。

 

話をもどして、これの相手が公務員だったらどうだろう?

公務員にと対峙する場合、議員でない一般市民は窓口の職員からスタートしなければならない。

公務員の不正問題は今やあって当たり前のような状態である。街のお巡りさんが、市民に対して何らかの利益供与を求めてきたとき、あるいはそれを第三者として知ってしまった時。もう少し多そうな例で言うと、公務員からセクハラ・パワハラと感じられる対応をされたときあるいは、それを第三者として知ってしまったとき。

市民にとっては相手が、コンビニや牛丼屋よりもっと絶望的である。

コンビニや牛丼屋は利用しなくても何とかなるが、行政はそういうわけにはいかない。こちらの市民生活に著しく悪影響を及ぼす。

 そして、どれだけ丁寧に公務員の対応が間違っていると理論立てて説明しようが、解決に至るには労力がかかりすぎる。

 

先日萩原流行さんの交通事故で、後続車の男性会社役員(60)が一年以上ものちに不起訴が決定した。この方にしてみれば本当に「はらわたが煮えくりかえる」思いを長い間なさったのだろう。

萩原流行さん事故死:高井戸署員の警部補を略式起訴 - 毎日新聞

しかしそれでも警察内部にもしっかりと真摯に対応してくれた人知れない警察官がきっといたに違いない。

 

役人や警察官だって人間だ 間違えたりズルしたりする者もいるのは当然である。

その者に自覚と反省を促すための教育機会を与える発端は、やはり市民の根気良いアプローチに他ならないであろう。

 

 

あの桜井 誠ほどは出来ぬとも。

伊調馨と吉田沙保里の違い

オリンピックで4回連続で金メダルを獲るということが、とても価値があることを再認識した。多くの人がこの2人が揃って4連覇するだろうと思っていただろう。

しかし結果は紙一重で金と銀の二種類のメダルになってしまった。

 

何が二人を分けたのか?

私の邪推は、一つには二人のテレビへの露出度の違いだ。

この何年間吉田は伊調に比べると、はるかに多くの競技に関係しないバラエティー番組も含め露出が多かった。これは本人の意思以外の力も働いていることもあろうが、何より本人が目立つのが大好きなのだ思われる。 一方伊調は自分から積極的になにかを表現しようとする気に欠ける、言い方を変えればサービス精神に乏しいともいえる。

誰かを喜ばせる為に行動するのと、自分がしたいから行動する違いである。

いい悪いではなく、どちらが執念が強いかと言うとまぎれもなく後者である。

みんなに応援してもらうから頑張るのか、頑張ったら誰かが応援してくれたのでそれに感謝するのかの違いである。

そうして私が思うもう一の違いは、それぞれの今はなき親の魂の霊力の違いである。

伊調は「会場のどこかで亡き母見守っていてくれると思う」といい、吉田は「父は私と一緒にリングで戦ってくれる」と試合前に言っていたらしい。

そうであるならば、レスリングの選手でもあった父が、生前ではありえなかった娘と共にリングで戦ったのにもかかわらず、アメリカの選手を攻め切ることができなかったのは何とも情けない話だ。使えないダメな父親である。 しかしそのようには、誰も指摘することはないだろう。

本来は報道陣に亡き父親のことを聞かれて、「試合と父の死は全く関係ありません、父の死からはもう2年以上経っています、父がいなくても私は結果を残せるほどに父に長い間指導を受けてきました、勝っても負けてもそれが私の力です。亡き父には、恥ずかしくない試合をすることを誓うだけです。どんな環境であろうとも、自分の力を出すことがすべての結果につながると思います」とマスコミ受けするお涙頂戴とは一線を画したスポーツマンらしい発言をするべきだったのだ。

何故ならば「父は私と一緒にリングで戦ってくれる」とは「すでに私にはアドバンテージが死んだ父のお陰でありますよ」とアンフェアな状態であることを自ら認めるという何ともスポーツマンにあるまじき認識を対外的に示しているからである。「私は死んだ父が助けてくれるから、両親揃っているあなたより有利よ!」と言ってるに等しいからだ。

まさに霊魂のドーピングを自ら認めているのだ。

そして、もし吉田が金メダルを手にしていいたら、「亡き父が助けてくれました」などと涙を流してコメントしていたであろう。そしてそんな言葉を何の違和感もなく、それどころか感動的に受け止める大衆がほとんどであろう。

そういう大衆が、オリンピックでメダルを獲っただけでその後なんの勉強もしないのに、「票寄せパンダ」の政治家として当選してしまう。その時の立候補の言葉は「応援していただいた国民の皆様のために今度は私が恩返しをする番です!」などと言うのではあろう?

 もしそれでも政治家になるなら、頼むから法学か政治経済学などで、立法や行政の知識をつけてからにしてほしい。いや本当は政治家になんかなってほしくない。

でも周辺の政治家たちはもうみんな狙ってるだろう。

そしてもし出馬すれば

   オリンピアンドーピング

           で楽勝で当選金メダルであろう。

 

そんな頃が来たとき、もう一人の伊調はどうしているのだろう?

女子柔道のよき指導者になっていると私は思う。

 

 

初めての 朝 すき家

初めて 朝食をすき家で食べた 朝7時40分

広い駐車場には1台も車が止まってなかった。

外から見てもお客は誰もいない 本当に営業中なのかも疑わしかった。

恐る恐る店内へ あっ 2人店員さんがいた ちょっと驚く

ワンオペをどこかで期待していたのに

まぜのっけご飯 320円を注文

あっという間に出てきた デニーズの朝食セットなんか下手すりゃ20分も待たされるのに まさに秒殺!

最近 朝パンではなく白米を食べようとしているので 今までよく行っていたコメダのモーニングに行かず ご飯があるところを 探している

スキ家の朝ご飯も値段の割には悪くはないのだけれども やっぱり味噌のインスタント感が残念

やっぱり家で作る味噌汁には勝てないな

 

 

スマップはグループではなく、チームだったのだろう。

スマップに限らず人気商売には当然「旬」があり、いつかは「あの人は今」などというネタにされ、それさえもされなくなり、最後に「お亡くなりになりました」の記事になり、そしてまだ生きているのかも、わからなくなってしまい、ウキペディアで調べるところまでくる。

 

阪妻も橋蔵も裕次郎も健さんも、もう若者のほとんどが誰?と言う人たちだって、その当時は人気過ぎて町なんか歩けなかった人たちである。

ほとんどの人達は街で見知らぬ人に声をかけられたら、道を尋ねられるか、客引きかのどちらかではないだろうか?しかし有名人の人達は、握手は求められるは、サインをせがまれるは、「頑張ってください!」と声をかけられれば無視するわけにはいかないは、で相当大変である。

 

有名な人=人格者(犯罪者以外)という定理が、当たり前になってるのは、彼らが時々「子供たちに夢を与えたい」などという安ぽい常套句を口にするからである。

また清原のように薬物で逮捕されると「子供たちを裏切る行為で決して許せない」などと言うコメンテーターが必ず現れる。そもそも有名人であろうがなかろうが、子供に夢を与えることよりも先に自分の目的を実現するために何かをし、結果成果が出ればおのずと有名になるのだ。そして自分の一つの目的が実現してしまえば、次の目的を設定しそれに向かって行動すればよいのではないか?

 

沢山の気持ちで支えてくださったファンの方々、スタッフの皆さんを無視して「解散」という本当に情けない結果になってしまいました。今は言葉がうまく見つかりません。  by 木村拓哉

 

この発言にある、皆さんを無視しなくて「解散」する方法はどういう事が考えられるのか?少なくともスタッフとは話し合いいかんで無視をしなくても解散という手段はあるだろうが、ファンの意見を無視しないで解散することなど、不可能である。

そして、この文面では「無視」をしたのは自分では無いと言いたがっている。なぜならば情けない結果になったことは認めているのに、それに続いて謝罪では無く、「言葉が見つからない」と書いている。これでは当事者としての視点とはいえない。

 

25年ものグループの歴史があればそれがたとえ突然消えても、本物のファンならば、自分が死ぬまで今までの音源や映像を繰り返し再生し、楽しむことができるはずである。一番つらいのは今後も収入を生むであろうコンテンツを無くし、収入の源を他に移さなければならなくなる本人たちと、スタッフ=彼らによって収入を得ていた人々であろう。

情けないのは解散という結果になったことではなく、「みんなこれからは俺についてきてくれ」「スタッフの皆さん!安心してください!これからは僕が今まで以上に仕事を増やし、収入を増やしますから!」と言えない木村拓哉である。これが言えないということは「解散」は必然である。何故ならば木村拓哉が「ひとりスマップ」としてやっていく気がないからである。他の4人からしてみればきっと元マネジャーの飯島さんもスマップのメンバーだとの認識だったのだろう、ゆえに飯島さんがメンバーから離れればそれはスマップとは別のグループになると思ったのだ、それでも少しだけ続けてみたのは、木村ももしかしたらそれに気づいてくれるかもしれないと、微かな期待を持ったのではないだろうか?しかし結果はやはり木村はそれを理解する感性を持っていなかったと、他のメンバーは再認識したであろう。

 

誰がスマップをここまで成長させたのかの、答えの違いがいまはっきりとした。

 

公務員は誰が育てるのか?

議員をはじめ警察官や公立学校の教師など、公務員と呼ばれる人達の不祥事を聞かない日の方が少なくなったこの頃、一体彼らを教育するのは誰なのか?

誰が警察官に「ピストル自殺をしてはいけないんだよ」と教えているのだろうか?

誰が都知事に「私的目的で公費を使用するのはいけないんだよ」と教育するのだろうか?

教師に「生徒に対してセクハラやパワハラをしてはいけないんだよ」とお知らせしているんだろうか?

 

給料をもらいすぎだという批判は嫌というほど言って選挙に出てくるが、公務員に給料に見合った仕事をさせるための教育を、誰が誰の責任でさせるのかという論点を、持ち出す政治家を私は知らない。

 

だから安易に民間にできることは民間でといい、郵便配達を民間に委託した結果、

 

こう言う事態もまあ起きてくる。まだまだ日本国民は郵便局を、信頼できる国営企業だとの幻想を捨て切れていないのが実情だと思ので、〒マークを付けた赤い車が堂々と違法駐車しているのを見かけると、日本は貧しくなったなーと、とても悲しくなる。

 

警察もやがて民営化され、その行動に減価意識を植え付けられ、ノルマを今以上にかけられ、地道な防犯啓蒙など、無駄なことだと切り捨てられる日も近いかもしれない。

 

公務員は手当の割に楽をしてるから、給料や人数を減らせと政治家が言い、有権者が同調する。

 

しかし我々に本当に必要なのは、身分が安定してるがゆえに安心・安定し、今の仕事を失いたくないので、目先の利益(適当に仕事をすることも含む)に飛びつき、納税者の利益を損なうようなことをするメリットはないという、最も人間らしい動機で公務に従事してくれる人ではないだろうか?

高給が故に、皆から憧れる職種故に、誠意をもってその職務を日々遂行する以外に何をモチベーションにしろと言うのか?

 

そこでどうしても必要になるのは、その人たちを教育する人材であり、教育できないと判断すれば解雇する確たるシステムだと思う。

 誰かが、君の仕事ぶりは杜撰だ、手を抜いていると、毅然として指摘し解雇を見据えた指導をすること以外のを私は思い浮かばない。

 

総務省にこういうところがある。

http://www.gov-online.go.jp/useful/article/201310/1.html

国の行政に関する苦情、意見・要望は「行政相談」をご利用ください

 

 せめてこういうところが、きめ細かく市民からの苦情を事の良しあしにかかわらず、現場に伝え、現場はそれを真摯に受け止める事に予算を割いても良いと思う。

 

香取慎吾が反省すべきこと

相手にどこまで詰め寄るか?

反省のない、あるいは開き直っている相手にどれだけ詰め寄っても、あまり意味のないような気がするし、かえって詰め寄った自分が嫌になり脱力する。

本来は、相手にこちらの要求を的確に伝え、それに対して相手が要求にこたえる能力と考えがあるのかを確認し、実行させなければならないが、要求が一方的なものならよいが、交渉の余地がある懸案の場合、最終的な話し合いによる円満解決などというものは、大変困難なことだ。

 

その交渉過程において一方が発した言葉が、相手の人格を攻撃したとの指摘を受けその問題に議論が逸れていってしまい、交渉自体が無駄になることも多々ある。

 

相手に対して何も望まないと腹を決めたら、もう交渉をする必要はないのではないか、そして「没交渉」とすればよいのではないだろうか?

「話せばわかる」とか「やればできる」とか「誠意はいつか伝わる」とか

「諦めたらそこで終わる」とか「為せば成る」とかより、

多くのことは「無理なものは無理」が結局結論づけられるのだから無駄な努力を褒めたたえ自分を正当化するより、もっと冷静に

木村拓哉に何言っても無駄」

ということを最初から理解しなければならなかったと香取慎吾が反省すること」が正しいと私は結論付ける。