伊調馨と吉田沙保里の違い

オリンピックで4回連続で金メダルを獲るということが、とても価値があることを再認識した。多くの人がこの2人が揃って4連覇するだろうと思っていただろう。

しかし結果は紙一重で金と銀の二種類のメダルになってしまった。

 

何が二人を分けたのか?

私の邪推は、一つには二人のテレビへの露出度の違いだ。

この何年間吉田は伊調に比べると、はるかに多くの競技に関係しないバラエティー番組も含め露出が多かった。これは本人の意思以外の力も働いていることもあろうが、何より本人が目立つのが大好きなのだ思われる。 一方伊調は自分から積極的になにかを表現しようとする気に欠ける、言い方を変えればサービス精神に乏しいともいえる。

誰かを喜ばせる為に行動するのと、自分がしたいから行動する違いである。

いい悪いではなく、どちらが執念が強いかと言うとまぎれもなく後者である。

みんなに応援してもらうから頑張るのか、頑張ったら誰かが応援してくれたのでそれに感謝するのかの違いである。

そうして私が思うもう一の違いは、それぞれの今はなき親の魂の霊力の違いである。

伊調は「会場のどこかで亡き母見守っていてくれると思う」といい、吉田は「父は私と一緒にリングで戦ってくれる」と試合前に言っていたらしい。

そうであるならば、レスリングの選手でもあった父が、生前ではありえなかった娘と共にリングで戦ったのにもかかわらず、アメリカの選手を攻め切ることができなかったのは何とも情けない話だ。使えないダメな父親である。 しかしそのようには、誰も指摘することはないだろう。

本来は報道陣に亡き父親のことを聞かれて、「試合と父の死は全く関係ありません、父の死からはもう2年以上経っています、父がいなくても私は結果を残せるほどに父に長い間指導を受けてきました、勝っても負けてもそれが私の力です。亡き父には、恥ずかしくない試合をすることを誓うだけです。どんな環境であろうとも、自分の力を出すことがすべての結果につながると思います」とマスコミ受けするお涙頂戴とは一線を画したスポーツマンらしい発言をするべきだったのだ。

何故ならば「父は私と一緒にリングで戦ってくれる」とは「すでに私にはアドバンテージが死んだ父のお陰でありますよ」とアンフェアな状態であることを自ら認めるという何ともスポーツマンにあるまじき認識を対外的に示しているからである。「私は死んだ父が助けてくれるから、両親揃っているあなたより有利よ!」と言ってるに等しいからだ。

まさに霊魂のドーピングを自ら認めているのだ。

そして、もし吉田が金メダルを手にしていいたら、「亡き父が助けてくれました」などと涙を流してコメントしていたであろう。そしてそんな言葉を何の違和感もなく、それどころか感動的に受け止める大衆がほとんどであろう。

そういう大衆が、オリンピックでメダルを獲っただけでその後なんの勉強もしないのに、「票寄せパンダ」の政治家として当選してしまう。その時の立候補の言葉は「応援していただいた国民の皆様のために今度は私が恩返しをする番です!」などと言うのではあろう?

 もしそれでも政治家になるなら、頼むから法学か政治経済学などで、立法や行政の知識をつけてからにしてほしい。いや本当は政治家になんかなってほしくない。

でも周辺の政治家たちはもうみんな狙ってるだろう。

そしてもし出馬すれば

   オリンピアンドーピング

           で楽勝で当選金メダルであろう。

 

そんな頃が来たとき、もう一人の伊調はどうしているのだろう?

女子柔道のよき指導者になっていると私は思う。